今面白い本を読んでいます。NSC講師をされている本多正識さんの本で、お笑い芸人が受けているトレーニングについてのアレコレが書かれています。
この細かな内容はもっと読んで吸収してから書こうと思うのですが、今日はそこで出てきた「努力の天才」という言葉についてです。
よくある言葉ですが、改めて「なんか変、、」だと感じたので、改めて考えてみようと思います。また、この本の冒頭に掛れていたことを皆さんにも試して欲しいと思います。
一度ショックを受けることになるかもしれませんが、試してみて下さい!
◆自己紹介
早速皆さんに試していただきたいことがあるのですが、何も考えずに次のことを実践してください。
「30秒で自己紹介をしてください」
超えに出せる人は声に出して、声に出せない人は頭の中でするだけでも問題ありません。
できましたか?
「内容」「テンポ」「聞き取りやすさ」「オリジナリティ」「雰囲気」を1~5で自己評価するとどれくらいでしたか?すべてが上手くいったという人はほとんどいないはずです。
準備をすれば、多くの人が完璧な自己紹介を出来ると思います。ただいきなりやってと言われるとテンパったりして何とも言えない自己紹介になるものです。
◆山里良太
出展:吉本興業公式ホームページ
自己紹介と繋がるわけではありませんが、多くの芸人でも最初はこういった自己紹介すらままならないそうです。南海キャンディーズの山里良太さんもその一人だったそう。
今や「切れ者」というイメージを持たれていますが、毎回の授業で最後の最後まで講師に質問をし真面目に取り組んで蓄えた力が今を作っています。
彼が「天才はあきらめた」という本を出した時に、この本の著者「本多正識さん」がメールで「君は努力の天才だったよ」と送ったそうです。
この言葉に改めて違和感を覚えたというように、記事の最後の方になって本題を迎える変態ブログです。
そもそも「努力の天才」というのは、天才ではない人がしたとてつもない努力を称える言葉じゃないですか?
その言葉の中に「天才」という言葉を入れるのがどうなのか?という事です。「天才」という言葉を入れてしまうと、努力タイプだった人も実は「天才タイプ」だったかのように感じさせてしまい、その努力の濃度を薄めてしまうように思います。
例えば「天性のマッチョ」という言葉だと、そのマッチョは生まれながらにして筋肉質で、それほど努力しなくても手に入れられたもののように聞こえませんか?
「マッチョ」という言葉には「積み重ねてきた努力」が隠れています。これを「天性」という言葉が打ち消してしまっています。
当たり前のように「称賛の言葉」として使われてきた「努力の天才」という言葉ですが、価値を下げてしまっている言葉だなというのがこの記事の締めくくりです。
今の言葉を使い『名詞』として作るなら、「努力の鬼」「努力の達人」の方が「努力」という言葉の価値を高めていると思います。
少しは賛同いただけたでしょうか?(笑)
本を読んでいる途中だったのに熱くなって記事にしてしまっていました。
本に戻ります。(笑)
それでは、良い言葉の性ライフを!